普段は大学や専門学校でウェブ製作を教えています。過去の仕事としてはウェブ製作や、音楽製作、TVCM制作など多岐にわたるマルチメディアコンテンツを作ってきました。

 

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多分、人間の価値観というのは、それそれで、大きく違う。だから此処で言う「本当のこと」という物自体が相手にとってはそうではない場合もあるし、当たってるだけに辛い場合もあるだろう。

自分は正しいと過剰に信じこむと、相手に対して配慮を欠いた発言になってしまうので気をつけようと思う。

まあ、本当のことを言ったからといって、それを相手が受け入れてくれるかどうかは、その時次第だし、その内容が相手のコンプレックスに抵触して心を閉ざしてしまう場合も多々ある。

要は言い方なんだろうが、あまり湾曲に言っても伝わらないし、だからといって逃げ場をなくすような言い方ではだめだろう。このへんのバランスは学習するしかない。

言葉は難しい。言葉の意味が同じように思えても受け取る人で違う場合があるからだ。



先日友人から以下のような相談を受けた。「少し前から身の回りにとんでもない不幸が起こるという予感がしていたんだけど、自分が想像していたそのままの事が身辺に起こった」とのこと。

的中した予感で、本人は逆に不安を感じていた。「なぜ?今回の件を予感できたんだろうか?」と。

この世界では、この様なことが案外ちょくちょく起きている。それは虫の知らせ等言うものだったり、単なる「感」のようなものだ。それらを単なる偶然と捉える人もいるだろうし、そう思う人はそれでいいと思う。

しかし、周りを見回してみると偶然では片付けられない事がたくさん転がっているのも事実だ。

例えば、地球自体が偶然的確率論では存在し得ない。

大気の組成や、海の塩分量の変化がこの数十億年規模でほとんど変わっていない事自体がありえない。海の塩分が地表から流れこんでくる塩基物質によるものであるなら、すにで、ものすごい濃度になっていてしかるべきだ。しかし、そうはならない。

大気科学者の J.E.ラブロックは、その著書「地球生命圏」で地球自身を恒常性をもったひとつの生命と位置づけるガイア仮説を展開している。

要は、我々が知っている事実というのは、全体のほんの一欠片に過ぎないということだ。

その上で、様々な可能性が展開している。だとしたら、「予感が当たる」という出来事にも、それが「偶然性」と「我々が知らないシステムが働いた」という可能性が同時にあると考えてもいいだろう

個人的には、その可能性は大きいと思っている。

そこで、重要なのは、我々が知っている、不十分な知識を元に不可知な事柄に「恐怖」を持ってしまっては判断を誤ってしまうということだ。

映画「地獄の黙示録」の中でカーツ大佐は「恐怖を友にしろ」と言ったが、これは正しい。人が、壊れていく大きな要因は「恐怖」にある。恐怖は人を支配し、人を駆り立てる。それに打ち勝つためには、正しく理解し、正しく行動することだが、その中に「わからないものはわからないものとして認め、受け入れる」ということがあると思うのだ。



例えば何かの相談を受ける。もちろんできるだけ誠実に答える。し

かし、自分の発した助言を相手が受け入れないこともある。これは当然の事だ。自分の価値観で発した言葉は、自分の価値観であって、相手の価値観と合致するとは限らない。

だから、自分の言ったことを相手が理解できても理解でなくても、また、受け入れても受け入れられなくても気にしない。

重要なのは、そんな場合に、嘘ではなく、自分の言葉で自分の信じることを伝えようとしたかにある。従って、伝えるだけでいいのだ

たまには相手に受け入れる準備があって、それによって物事が好転する場合がある。その時は素直に喜べばいいし、逆に自分自身の判断が間違っている場合もある。その時は謝ればいい。

また、伝えるべき内容が相手にとって都合の悪いことである場合も多々ある。その時は、相手から逆に疎まれる場合もある。しかし、だからといって嘘を言ったり迎合してはいけないのだ。

その場を繕っても、自分の中に後悔が残る。そんな間違いを、例えば「あれは、理解出来ないあいつが悪いのだ」などと自己弁護の中で誤魔化す場合もあるだろう。

しかし、いくら自己弁護しても、そこで放った本心でない言葉は、すぐに自分に戻ってきて、少しずつオリのように積み重なり、不安の元となるのだ。
2012年 3月 04日(日曜日) 09:44

焦りは禁物

「物事を成就させるためには焦りが禁物」

どうも、私自身は毎日高いテンションで動いているので、性急なタイプと思われがちだがそうでもない。やりたいことは沢山あるが、実はあまり執着はない。できても出来なくても構わない。


その割には色んなことが出来ている。そこでナンデかな?って思った。何か努力してる感じがしない。その感じがないのに、やりたいことが次々に実現していくのだ。守護霊様のおかげ?(冗談だ)

でも良く考えてみると、多分普通の人よりも叶うまでに時間がかかっている感じはする。例えば、実家の写真の仕事からコンピュータ関連の仕事に乗り換えるのに10年かかった。

今回の展示会にしても球体を作ると決めて展示会までに1年半位かかっている。それでも予定よりは早い。

結局、やりたいことを実現させるために必要なのは、その方向性、つまり意志を持続できるか?にかかっているのだろう。その場合、無理はいけない。無理して集中しすぎると持続するのが難しくなる

だから、少し時間は掛かるが緩めに、しかもぶれずに意識を持っておくと、自然にその為に身体も動き、結果として行きつけることが多くなるのだろう。

さよなら原発映画祭 in トークライブ 「311後、東京から福岡に移住して」 杉田かおる(俳優)

先日のUstream放送のアーカイブです。俳人の正木ゆう子さんとミュージシャンのOTOさんとの対談で、原発問題を俳人としての切り口から語ります。

2011年 6月 21日(火曜日) 03:33

ソウルメイトについて

先日、能力者の方から以下のような事を言われた。

「浅川さんのソウルメイト見えたわ。やっぱり変わってる。あなたのソウルメイトって、人じゃないわよ。地球そのものがあなたのソウルメイトなのよ。そんな人はじめて会ったわね。」

私には、ソウルメイトというのはよく分からない。元々の考え方からすると、人間の命というものは元々同じエネルギーが一定の期間、海の波の様に、波立ち「波」という形を保持している間、一定の個性を持って居ると思ってる。

従って、その波の形状というかあり方が似通る場合、生変りであると認識される。

そんな感じで捉えてる。その波は勿論様々形状をしていて、エネルギーの強さも様々、それが人間以外の動物や植物に宿ることで「生命」が存在している。と、そんな流れだ。

そう捉えると、一定の形状のソウルメイトというのは、存在するのかも知れないけど、結局は皆同じエネルギーの一部だと思う。

つまりは全ての命あるものはソウルメイトであるということだ。

つい私たちは、私たちの立場で私たちの利益を考えてしまうが、それはもう独善的な視点以外何ものでも無いだろう。

例えば害虫と呼ばれる虫たちを私たちが殺生することは、その虫たちの立場に立てば、とんでもない悪であり、人間にとっては、必要な善であるが、これら相対的に変化する価値を理解して行為を行う必要がある。

当然、我々はキリスト教においても罪深い存在であると言われているし、仏教的に言っても、四苦八苦の中に存在していてそれほどおめでたい存在であるとは認識されていない。

私たちは、生きているだけでその存在に問題を抱えているということになる。

しかし、この世界はすでにパーフェクトでもある。そして人間もその世界の一部だ。

要は、判断自体の主体を何処に置くかに過ぎない。

相反する価値基準がこの世では同時に成立する。それって、結局私自身がその中から何を選ぶか?という事に繋がり、さらにはこれら多重に存在する価値観を選ぶ自由も与えれれているということになる。

もし、世の中が絶対的な価値観で決めることが出来るとしたら?あなたはその世界に住んでみたいと思いますか?

全ては結論づけられ、進む道も決定しているなら、我々は「個」として存在出来ると思いますか?

私はそうはおもいませんね。

 

 

2011年 6月 02日(木曜日) 23:53

遠くはなれていても

九州に住んでいると、福島原発の問題にしても、どこか現実感がなくて、テレビで悲惨な状況を見てもどこか距離感がある。それでもなお、巻さんのチャリティーライブを手伝ったり、UAさんの脱原発に関するネットライブを手伝ったりと、否応なくそれらが現実であることを知らされる。

そして今度は、「さよなら原発」というムーブメントを告知するためのウェブサイトを製作することと成った。

今回の事故は日本すべてを巻き込んで、今一度これまでの私たちの歴史を省みるチャンスだとも思う。これらの出来事に距離感を感じている原因は結局、想像力の欠如他ならない。

想像力の欠如は、つまりは、私を含め、私たちの未来を台無しにしてしまう可能性を持っている。

いや、それだけではないだろう。人間にとって想像力を失うということは、即、滅亡へと向かう事だ。

これまで、私自身も原子力発電に対して、明確なスタンスを持っていなかったが、今回の事故により、リスクをコントロール出来ない事業をやってはいけないという簡単な事実がよく理解できた。進むも勇気、止めるも勇気。

脱原発に向けて私も動きます。

http://byebyegenpatsu.com/

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