美輪さんのコンサートの後、音楽が人の心にあたえる影響の大きさが解り、乙文殊宮の近くでコンサートを企画すれば、地区の方々の気持ちを変えることが出来るのでは?そう思った。
それに、反対されている方々の意見は「落書き」がどうこうというよりも、その珍しさゆえに人が集まり、地区の活性化につながるというものだ。だとしたら、他のイベントを開催することによって、落書き以外で活性化につながると実証すればいいかも?
すると、そこはバックに神様がついている強みで、すぐさま動きがあった。
レストランで食事をしていたら、後ろの席の方が突然笑い出して、話しかけて来た。
「いやあ、変な人だと思われるかもしれませんが、後ろで話を聞いていて、ついおかしくて笑ってしまいました。実は私は地元佐賀出身のテノール歌手で、今日コンサートを終えて、今夜のうちに東京に帰るところです。よかったら近いうちにお会いできませんか」
と名刺を渡して、次回是非と言われた。
その他にも、「ぜひとも私のコンサートを企画してください」と、CD及び関係書類一式送ってこられる方もいた。(私ごとき素人に頼まれるような方では無いと思うのだが)
神様は手加減というものを知らない。十分な時間も無いのに、すぐにこんな大物のコンサートなんか無理だろ! だめだ、神頼みはまったくあてにならない。小手先の誤魔化しはやめよう。
地区の話し合いは4月の3日(土曜日)の夜6時からという連絡がはいった。説得できる切り札はついに一つも見つからないまま。丸腰で切り込みに行く武士のようだ。しかしやるしかない!何の下心も無くただただ奇麗にさせていただきたい、その私の思いをそのまま地区の方々にぶつけよう。
”地区長のYさんも「乙文殊宮」のあの状態はあんまりだと感じていたと最初に言ってくれたのだから。他にも解ってくれる人が現れるかも。”
4月2日、話し合いを明日に控え、その日は佐賀の〇〇神社の大祭があるという話を聞いた。明日の話し合いが上手く行くよう願掛けのつもりで参拝することにした。平日のためか、参拝されているのは女性の年配の方が多かった。大祭の最後に社務所にて食事が振る舞われた。食事に行く前に、もう一度神前にて明日の無事を祈ろうと神社の正面にまわると、一人の方がお参りされていた。
とても気さくな方で、私の姿を見て「どうぞどうぞ」と前を譲り、自分は後ろの方でまた手を合わせていた。随分と長く一生懸命お参りされているので、何を祈られているのですかと聞いてみた。すると、
「私は、Oと申します。佐賀県議会の議員です。」
彼女は今国が佐賀に再処理核燃料(MOX)を使った原子力発電所「プルサーマル」を設置しようとしている、と教えてくれた。原子力発電自体、世界的に減らす方向に行っているのに、安全性が危ぶまれている「プルサーマル」の設置をどうして認めるのか。どうにか阻止しなければと署名運動をしているという。彼女は元医者の立場から、万が一放射能漏れがあった時の悲惨さを分かってもらいたい。どうして今佐賀に危険なプルサーマルを設置しなければならないのか。皆に考えてほしい。そこで署名活動をしているという。
国に掛け合っても、材料となる使用済み核燃料は何処から、どれだけの量運び込むのか、詳しい内容は公表しようとしない。しかし皆が知らないまま、話はどんどん設置の方向に進んでいる。
そこで、今日も人々が集まっているこの大祭で、少しでも多くの人に話を聞いてもらいたいとやって来た。今もそのために祈っていましたという。お隣の県である佐賀にそういう話が進んでいたとは全く知らなかった。私も協力しますと言って、署名の用紙を頂いた。社務所にはすでに三十数名の方が食事に集まっていた。すると、先ほどのOさんが
「食事の前に申し訳ありません。すこしの時間で構いませんのでお話をさせてください。」
と話し始められた。Oさんのすぐ傍で話を聞いていたが、本当に心から、自分のためではなく、未来の子供たちのために話されているのが伝わって来た。しかし、Oさんの一生懸命さに対して他の方々の態度が異常なくらい冷めている。中には、
「食事の時に何考えているのかしら」
わざと聞こえるようにつぶやく人まで。
”はあー?なんなんだ。これは。”
Oさんは必死で涙をこらえて最後まで話すと、我慢できずに部屋を出て行った。Oさんの後を追って部屋を出ると、廊下の隅で悔しそうに下を見ているOさんがいた。
「プルサーマル」を設置すると県にお金が落ちるらしい。反対が少ないのはそのためらしい。将来の危険は皆見ようとも考えようともしない。目先の欲に走っている。悔しさにOさんの目に涙があふれてくる。県議会でも反対で立ちあがったのはOさんただ一人だったそうだ。
Oさんは、佐賀に今の吉野ヶ里遺跡が発掘された時、発掘調査が終わると埋め立てるという話になり、それに猛反発して、佐賀の文化としてどうしても残してほしいと、いろんな文化人に掛け合ってやっとのことで、遺跡を公園として残すことになったらしい。その時もかなり抵抗にあったらしいが、「プルサーマル」はその時以上に絶対阻止しなければならない。佐賀の人はどうして理解してくれないのだろう。Oさんは悔しそうに唇をかんだ。
なんだか明日の自分の姿を見ているようで、帰りの車の中で、今日と同じ冷たい目に囲まれている自分の姿が浮かんだ。Oさんの気持ちは痛いほどよくわかる。皆がお金とか物質的なことを優先させて、本当に大切なものを忘れている。今そこに気が付かないと将来必ず大変なことになる。必ずしっぺ返しが来る。
しかし、諸富橋を過ぎた時、「あっ!」気が付いた。
”でも、正論だからといって、それを押しつけてはいけない。相手を非難してはいけない。皆それぞれいろんな人生を生きて、いろんな考え方をしている。まずは一人一人の考えを受け入れなければいけないんだ。受け入れた後で、自分の一つの意見として聞いてもらう。そうだ、今まで私はあの乙文殊宮の落書きを絶対悪だと決めつけていた。しかし、まずはそれも有りだと認めよう。その上で話を持って行こう。明日がどうなるかは全く分からないが、相手を非難せずに、ただ私たちのお願いを良かったら聞いてください。そんな感じで行こう。”
次の日、夜の6時地区の公民館に出向いた。公民館では定例会があっており、Yさんから、定例会が終わったら、切り出しますので、暫く外で待っていてくださいと言われた。流れにまかせようと決めてはいたものの、多少の緊張感が走る。定例会が終わり、Yさんが招き入れてくれた。
覚悟はしていたが、一斉にこちらに向けられた視線は、胡散臭そうなよそ者を見るような冷たい目だった。私は出来るだけ気持ちを落ち付かせるようにして、話しを始めた。
「お堂の壁に願いを書くという行為そのものの善悪は、一人一人の価値観の相違であってそういう風習もあってもよいと思います。ただ、今回出来ましたら一度それを消すという行為をさせていただけませんでしょうか。その上でまたお願い事を書かれてもそれはそれで構いません。書くことで願をかけるのと、消すことで願をかける。もし、よろしければそのどちらも認めていただきたいのですが・・。私の手元には、消すことによって願をかなえたいという方々が100人以上集まっています。どうぞ、私たちの思いを汲んでいただけませんでしょうか?」
最初は不審な者を見るような目つきの方々が、話し始めると少しづつうなずく人たちが現れてきた。話しが続くにつけ、皆さんの目が優しくなっていった。しかし、解っていただけるかなと思った矢先、一人の方が突然、、
「100人も人が集まるのはおかしい。何かの宗教団体じゃないのか。」とか、
「あのままにしとくのも、消すのも地元の問題なのに余所の人間が口を出すのはおかしい。」
急にまくし立てられ始めた。隣にいた長老さんらしき人も、「確かに地区の問題だから」と静かに仰った。何人かの方々は気の毒そうに私を見られたが、地区の中に争いを起こすわけにはいかない。
「解りました。しかし、もしよろしければ、あそこの祀られている文殊菩薩の顔にかかれた落書きだけでも消させて下さい」そうお願いした。
すると、何人かの人が、
「それぐらいは、してもらってもいいんじゃないかな」そう仰った。
しかし、先ほどの方が、「地区の事は地区でします」と頑として譲らず、他の方々はその方に押されてしまった。どうしても解っていただけないまま、これ以上続けたらお世話されたYさんの立場が悪くなると考え、その場を失礼した。
泣いてはいけない。泣いてはいけない。仕方がなかった。あれ以上強く言ったら、よそ者のの私が、地区の方々を仲たがいさせてしまう。
”自分は単なるよそ者なのに、あの方々はあそこでずっと生活されるのに、仲たがいさせてしまったら、ずっと皆さんの間にしこりを残すことになる。あれ以上は無理だった。しょうがなかったんだ。”
そう思っても、やはり、結局結果を出すことの出来なかった自分の不甲斐なさが悔しくて、悔しくて、涙があふれてくる。泣きながら帰路に着いた。結局いろんな人を巻き込んで、今まで何だったんだろう。結果は大事じゃないって言っても、やっぱり自分のやった事が全く何の役にも立たないって、めちゃくちゃ悔しい。
もうぼろぼろだった。
諸富橋が近づいた。「ごめんね。徐福さん。だめだった。」泣きながらそう言う私に、徐福さんはゆっくり頭を下げて、「ありがとう」と言う。「ありがとうなんて言われる筋合いは無い。」だって私、何にも出来なかったんだから。
「ひなちゃん。ごめんね。集まってくれた皆、ごめんね」
とめどなく流れる涙をぬぐいながら、自分の無力さをかみしめた。どうやって家に辿り着いたのか・・・・、そして家に着くなり泣き疲れて倒れこむように布団に潜り込んだ。
次の日、一番迷惑をかけたであろう地区長のYさんにお詫びしなければと、電話を入れた。
「ご迷惑おかけしました」と言う私に、
「いいえ、迷惑をおかけしたのはこちらの方です。全くの善意で仰ってくださっているのに。嫌な目に会わせてしまいました。申し訳ありませんでした。お話の後、各々実はあの落書きはあんまりだと思っていたのも事実です。しかし、一部の方が頑として受け入れてくれませんので、表だってそのことを言いだせませんでした。でも、今回のおかげで、少しずつ皆の気持ちが変わって行くと思います。本当にありがとうございました。」
Yさんはそう言ってくれた。
これで良かったのか、悪かったのか。今の私には判断はできない。自信を持って私はこういう事をしましたとは言えない。ただ、その後徐福さんから、
「あの地区の方々は私の子孫です。しかし、子孫である人々の心の方向性に危惧していました。今回すぐに結果としては現れませんが、皆の心に投げかけることが出来たのは貴方のおかげです。このことが結果として現れるにには時間が必要ですが、地区の方が『気づいた』ということはとても大きな進歩です。それに、ひなちゃんの事は心配しなくても良いですよ、今私のところで休んでいます。もう暫く私のもとに居てもらいます。」
今回の私の経験は一般常識では受け入れがたいことばかりです。今まで、ほんの身近な方々だけにお伝えしておりました。
文字にして初めて、自分でも気が付かなかったことにあらためて気が付きました。最初に「皆に伝えなさい」とはこのことだったんだと
今回の「乙文殊宮」の仕事は今やっと終わりました。
関連情報(編集者追記)
佐賀県玄海原発3号機「プルサーマル」2009年12月2日 営業運転開始
STOP!プルサーマル、佐賀県玄海原発3号機のプルサーマル計画の中止を求める署名
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