暮も押し迫る中、相変わらず暇ができると佐賀に通った。
さすがに交通費がかさむので、八女で高速を降りて、442号線を走る。こんなに頻繁に佐賀に行くようになるなんて考えもみなかった。だんだん通い慣れたくると、距離感が縮んでくる。佐賀まで行くのが、お隣にふらっと遊びに行くような感じになってくるのだ。大川市で道は208号線に変わる。その208号線が通る筑後川には二本の橋がかかっており、大川市側が大川橋、佐賀県側が諸富橋。
その佐賀県側の諸富橋を渡るとき、橋のたもとにいつも一人の男の人が立っていた。普通の人には見えてはいないと思う、痩せ形で、髪の長い男の人、白いローブのようなものを身につけている。通るたびにいつも見かける。私が気になったのは、顔がまるでキリストのようだったからだった。近くに教会でもあるのかしら。気にはなりながらも、車を止めるでもなく、毎回通り過ぎていた。
そうこうしているうちに、年が明けて2009年1月、信じられないくらい人が集まりだした。 人から人に情報が勝手に飛び回り、私は相変わらず、こつこつ一人で(一応応援団のひなちゃんも入れたら二人で)お宮の掃除をしている間に、あっという間に私の元に100人近くの方々の名簿が集まっていた。
不思議系の内容は避けて、ただただ「乙文殊宮」を奇麗にしませんかの呼びかけで、これだけの人が賛同してくれたという事実は私にとっては信じられない事だった。それ以上に、人は何かをやりたいと求めているんだ、ただ自分から発信できないから、「この指とーまれ!」って誰かが指を立てるのを待っているんだ。
私の中にほんの少しの自信が芽生え始めた。
そして、1月15日の朝、私の携帯に一人の方から今回の乙文殊宮に関しての質問の電話がかかってきた。
「乙文殊宮の掃除に協力しようと思っている者ですが、あそこの落書きって消しても良いのですか。」
考え付かなかった質問に一瞬、何と返事したらよいものか思いもつかなかった。
実はその時、私は知らなかったのだが、地方新聞に事もあろうかあの乙文殊宮が記事になって第一面のど真ん中に大きく写真入りで掲載されていた。その日は他に「中央大の教授が刺殺」などの記事があるにも関わらず、それより大きな扱いで掲載されていた。しかも落書きを肯定する内容。
”あんなマイナーなお宮なのになぜ?きっと、 管理している地区長のYさんに許可を得て記事にしているはずがない。信じられない。 ”
すぐさま新聞社に抗議の電話をかけ、その日のうちにその記事を担当した記者に会うことになった。冷静に対応しなければと気持ちを落ち着けて行ったものの、どうしてあのような記事を載せたのですかの質問に
「面白いかなと思って」
私の中でプチっと音がした。
「去年イタリアで日本人の学生が遺跡に落書きをしたということで、あれだけモラルの低下を指摘されたに関わらず。 おもしろいというだけで記事にしてもいいんですか!」
一方的にまくしたてる私に追い詰められた記者は、申し訳なさそうな顔をしながらも
「でも、地区の方々が記事にしても良いですよと協力してくださいましたから、いいかなって思って」
「えっ・・・・・なにそれ。私には消してくださいって言われましたよ」
記者さんいわく
「地区の方が、落書きはこのお宮の昔からの習わしです。このままずーと消すことなく続けます。報道してください。」
と言われたとのこと・・・・さらに
「調べたら、ネットにもかなり書き込まれていますし、テレビ放映もあるみたいですよ。だから、いいかなっておもったんですけど」
訳が分からなくなってきた。
つづく
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