2010年 7月 31日(土曜日) 14:34

今日は二人の友人と話した。

最近、ウェブの仕事が忙しすぎてなかなか、他の事ができない状態が続いていますが、「きずくどっと」忘れたわけではありません。

さて、今日は、友人の整体師の方と久しぶりに電話で話しました。現在、霧島で整体院を開業している方ですが、大阪の帰りにお電話頂きました。

何でも、大阪でスポンサーが見つかった模様で、霧島から大阪に引っ越すとのご報告。霧島の整体院にも何度かお邪魔して、周りの環境の素晴らしさに、感動していましたが、やはり仕事の事を考えると、街に住む方がいいと思います。

先々は、自然の中で暮らせる時も来るでしょうが、やっぱり今食べていく事も重要ですよね。

もう一人は順正ラーさん。別件で電話したのですが、今彼は、起業コンサルタントとしての仕事が増えてきたとのこと。やっぱりお会いした時の直感で、コンサルに向いていると思ったのは,間違いなかったようです。

その中で通信時事業に関する今後の新事業の可能性などをお話しました。スピリチュアルな仕事をしている方にしては、此の様なビジネスライクな話もできるという部分については稀有な存在だと思います。

やはり、精神性と現実性のバランスがとても大事なのがこの世界です。そういう意味での再確認が出来ました。

2010年 7月 05日(月曜日) 00:13

癒しとは何か?

ここのところ「癒し」という言葉が一人歩きしているような感じもしますが、皆さんにとっての癒しとはなんでしょう?

どうも私が感じている一般的な「癒し」とは実は、実態がないというか、それぞれの価値観の中に存在しているために、客観性が薄いものの様な気がします。

勿論、それらを感じる主体自体が主観において存在しているために、共通言語としての「癒し」というもの自体が存在していないわけですね。

昔、ノイズミュージックを聞いていたい時期があるのですが、その時はそれら雑音が自分にとっての癒しであったわけです。ノイズミュージックを大きな音で聞くという行為は一見すると癒しとは程遠い様に思われがちですが、実は、意味のない雑音を過剰に聞くと、脳がオーバーヒートするというか、分析することを諦めた状態になって、逆に静寂を感じられる状況になるんですね。

わざと麻痺させて情報を遮断するという方法論です。

従って、通常であればストレスとなる雑音が逆に、思考停止のための「癒し」となるということです。過剰な情報は、思考を破壊し、秩序を奪ってしまう。

これって、現代のネット社会に於いてもある意味、当てはまることなのかもしれません。ネットによって民主化された情報の海の奥にあるものは、結局「無」なのかもしれませんね。その「無」に癒しがあるのか?または、そのカオスの奥には、さらなる秩序があるのか?

とても難しい事だと思います。